池田菊苗は、1864年(明治元年の4年前)に京都で生まれました(表1)。以前からコンブは北前船で北海道から本州各地に運ばれていましたが、とりわけ京都には沢山のコンブが運ばれていました。京都はコンブ文化が最も発達していたところです。池田は小さい頃からコンブに親しんでいたために、後にコンブのうま味に着目したのでしょう。
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表1 池田菊苗博士略歴
西 暦 元 号 1864年 元治1年 薩摩藩士池田春苗次男として京都に生まれる 1868年 明治元年 1880年 明治13年 16才、大阪で化学を学ぶ 1881年 明治14年 親に内緒で東京に出る 1889年 明治22年 東京帝国大学理科大学化学科(東京大学理学部化学科)を卒業 高等師範学校で教鞭をとる 1899年 明治32年 物理化学の研究のためドイツに留学
オストワルド教授に師事1901年 明治34年 東京帝国大学物理化学教授 1907年 明治40年 昆布のうま味成分の研究開始 1908年 明治41年 うま味成分(グルタミン酸の塩)を同定
池田の幼少時代は、小刀を腰に差して寺子屋に通っていた時代です。9才の時に東京に出て約2年間英語を勉強し、京都に帰ってからも宣教師から英語を学んでいます。成人した池田は、アルバイトで英語の講師をしたほど英語に堪能でした。京都に戻ってから一時大阪に住んでいましたが、このとき造幣局のお雇外人から英書で化学を学びました。池田は自宅にいろいろな実験道具を揃え、化学の実験を行っていました。
1877年(明治10年)、東京帝国大学が誕生しました。池田は学問を学ぶために東京に出ることを熱望していましたが、その頃の池田家の財政はきわめて悪化しており、上京を許して貰えるどころではありませんでした。池田が18才の春、家人が花見で留守のとき、自分の布団を売って旅費を作り、無断で上京しました。翌年の1882年(明治15年)には目的の大学予備門に入学し、予備門理科を卒業後に東京帝国大学理学部化学科に入学しました。池田の卒業研究を指導したのは、桜井錠二教授です。桜井は有機化学が専門でしたが、物理化学に深い興味をもっており、池田に物理化学の研究をするよう指導しました。以後池田は、物理化学の研究者としての道を歩むことになります。
1896年(明治29年)、池田は母校の化学科助教授となりました。1899年(明治32年)には、ドイツ・ライプチヒ大学のオストワルド研究室に留学しました。オストワルドは、池田が留学した後の1909年に、物理化学分野の研究でノーベル化学賞を受賞しています。池田はこの研究室で2年間、物理化学の研究に従事しました。
ドイツでの留学を終えてからロンドンに立ち寄リ約3ヶ月半滞在しましたが、このときの下宿先には夏目漱石が滞在していました。池田と夏目は、この間親密な交流を重ねました。夏目は、「池田君は科学者なのに哲学や文学などに造詣が深い素晴らしい知識人である」と信服していました。ロンドン滞在当時夏目はいささかノイローゼ気味でしたが、池田との交流でノイローゼが吹き飛んだと言われています。
帰国後、1901年(明治34年)母校の物理化学の教授に昇進しました。池田は日本の物理化学分野では初めての教授であり、池田の研究室からは、鮫島実三郎をはじめとする多くの優秀な物理化学者が育っています。池田は日本の物理化学の創始者です。